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2011-02-28

大宮停車場の南方なる大宮与野間道路踏切

昭和56年発行『与野市史 近代史料編』に与野に関係する昔の新聞記事が史料として載っている。
そのなかに興味深い記事があった。それは大正10年3月20日の国民新聞埼玉版である。
「大宮停車場の南方なる大宮与野間道路踏切り」とあるのは吉敷町ガードができる前の与野道踏切りのことではないかと思う。与野道踏切りのことは2010-07-17ブログ2010-10-23ブログで触れたことがある。

この記事にある川越新道とは大宮駅北方の大栄橋が架かる前の踏切りのことで、オーバブリッチというのは跨線橋のことだと思う。ウィキペディア大栄橋には、“昭和13年には人道橋である「錦町跨線橋」が架けられた”との記述があるが、この記事によれば、大正10年にはすでに跨線橋が設備されていたことがわかる。

2010-10-23ブログでわたしは与野道踏切りについて「ふつうの踏切だったと思う」と書いたが、この記事を読むとそうでもなかったようだ。記事には“大宮駅の繁激なる貨物連結其他運搬上の作業の為に”踏切りがなかなか開かないとある。私の理解では貨物の連結作業は操車場でやるもので、大宮操車場がまだできてないこの時代、この踏切りは高崎線・東北線の線路があるだけだと思っていた。

新聞記事の2年後になるが、大正12年2月現在の大宮駅配線略図を見る。
駅舎付近を拡大する。「本屋」は駅舎で、「乗降場」はホームだと思う。下の31Kは東京駅から31キロということだと思う。1番線ホームは東北線上り、2番線ホームは高崎線上り、3番線ホームは東北線下り、そして4番線ホームは高崎線下りだった。
ホームの西側を拡大する。貨物仕合場がある。ここで貨物を行き先別に整理していたのだろうか。
貨物仕合場の南側を拡大する。四角は2010-12-09ブログで触れた大宮機関庫だと思う。四角の中は一番線から六番線まである。大正3年の機関庫には線路が6本入っているようだ。
機関庫の左に円形がある。これは転車台だと思う。大正3年の転車台

わたしはこの転車台のすぐ南側に「大宮停車場の南方なる大宮与野間道路踏切り」があったと思うのである。
オーバブリッチ建造の陳情がされたかどうかはわからない。結果的には大栄橋より30年ほど早く吉敷町ガードが開通した。

2011-02-26

続・農民講道館

2011-01-20ブログでむかし農民講道館があった場所を訪ねた。
農民講道館とはどのようなところであったのか調べてみると、当時としては画期的な農学校であった。
農民講道館の館生はすべて入塾し、教師と生徒が一体となって共同生活をしながら農業経営の神髄を学ぶことを目標にしていた。
昭和56年与野市発行『与野市史 近代史料編』ではこのように解説している。
またウィキペディア農民講道館農業短期大学には“農民講道館は授業や講義を殆ど行わず専ら実際に農作業に従事することで農業技術を習得するという独特の方式を採用し、休日も毎月1日と15日だけしかない実際の農家の生活に準じたものになっていた。その一方で修身の授業も必須であるなど、農業技術の育成と共に農民として当然修めるべき徳目を学ぶことも目的となっていた”とある。

農民講道館全景
昭和11年落成した実際試験場
2011-01-20ブログに掲載した農民講道館の写真は実際試験場が写っているのだと思う。

私が驚いたのは来館者の顔ぶれのスゴサである。
まず昭和9年5月12日の開館式並びに落成式。後藤農林大臣他政財界人400名が参集したという。現職の大臣が与野町に来たのは始めてのことだった。
昭和9年5月12日視察の写真

昭和9年5月14日には陸軍教育総監真崎甚三郎大将が来館し館生に激励の講話をした。真崎大将はのちの二・二六事件の黒幕と疑われた人物だ。

昭和10年6月1日には大蔵大臣高橋是清が視察に訪れた。この時高橋大蔵大臣は自動車で国道より渡辺製糸の北を通って来たという。渡辺製糸の北の道とは2011-01-20ブログで私が歩いたところであろう。
高橋是清は翌年の二・二六事件で命を落とす。二・二六事件は昭和11年の今日だ。ちょうど75年が過ぎた。
昭和10年6月1日視察の写真

昭和10年6月には、その後も7日に前内閣総理大臣斉藤実が、20日に拓務大臣児玉秀雄が参観に来た。児玉秀雄は「坂の上の雲」に出てくる児玉源太郎の長男だ。

さらに昭和16年1月18日には橋田文部大臣が視察のため来館した。

ところで創立者の横尾惣三郎も優れた人物で、昭和18年3月17日の日本産業経済新聞に大日本農本会理事長の立場で抱負を述べている。新聞外観と横書きに転記した記事

「建学の碑」と横尾惣三郎。昭和63年与野市長発行『与野市史 通史編 下巻』によれば「魂ハ生テ居ル」という農民講道館「建学の碑」銘文は農民講道館と横尾惣三郎の熱心な後援者であった徳富蘇峰の書を刻んだものだという。
徳富蘇峰95歳の書

農民講道館は戦後、農民講道館農業専門学校、農民講道館農業短期大学となり、昭和38年閉鎖した。

農民講道館「建学の碑」は今もいずみ高等学校の校庭に建っている

2011-02-25

土合村役場跡まで

中央区のたつみ通り。芸術劇場を過ぎて新大宮バイパス方面を見ている。
新大宮バイパスの手前に信号のない交差点がある。

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その交差点を左折する。そこはバス通り。里見通りの看板が立っている。
里見通りは国道17号のここが始点で先のたつみ通りが終点になる。
「鈴谷から中里を見る」ということから里見通りになったという。

浦和西警察署入口信号の警察署方面を撮る。

里見通りを警察署方面に右折した。五差路を右前方に進む。

新大宮バイパスに出る。左は浦和西警察署

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映画『誘拐ラプソディー』のひとコマ。船越英一郎がここの警部補役を演じている。

新大宮バイパスを南へ歩く。

駐車場と埼大通りの向こうにロヂャース

埼大通りの信号を越えて進む。桜区になる。左に島忠大宮バイパス店

島忠の向こうに球形ガスタンクが現われた

振り返って島忠。この新大宮バイパスを三橋まで北上すると島忠本社がある。

球形ガスタンク前を右に行く。

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真っ直ぐ歩いて行くと交差点の先が開ける

生産緑地

交差点を左に進むと三差路。前方右は中島小学校。

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右折した。生産緑地をさっきと反対方面から撮る。

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レトロ看板がある。

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2010-07-05ブログここの写真を撮った。
きょうはポスターがないので全部見える

災害に備えることは大切だと今また痛感している。

桜区中島(右)と南元宿(左)の境で新大宮バイパス方面を見る。

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ここは2011-01-24ブログに載せたこの写真の前方になる。

高層マンションの威容。

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ここはライオンズガーデンシティ浦和

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隣接するマンションは一部に和風デザイン

マンションではなく県営浦和南元宿団地だった。

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南元宿信号交差点から新大宮バイパス方面を見る。

バス停「南元宿」から南元宿信号交差点方面を見る。

道端に菜の花。

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浦和西警察署西堀交番を過ぎて振り返る。

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さらに進むと左手に土合小学校

道路の向かい側はJAさいたま土合支店。

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バス停の横に土合村役場跡の石碑があった。

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裏面に碑文。
碑文によれば土合村は明治22年に誕生した。
明治22年埼玉県町村便覧で見る。西堀の上の丸印は役場所在地の意味。
明治45年の地図で土合村あたりを見る。西堀の左下の丸印は土合村役場。私は今ここに居るというわけだ。

浦和方面を向いている。この道で帰路につく。

桐の実。

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大蛇のような大松。

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ここ裏門通り
裏門通りと云えば2010-12-20ブログで触れたように玉蔵院の北だ。
場所が違うのではないか、と思ってここから辿ってみたら繋がった。

南与野駅方面に進む。
日当たりがいいひなた治療院

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地名の日向からきていると思う。

ハクモクレンの開花はもうすぐ。

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2011-02-24

中島飛行機製作所の引込線 追記

2011-02-17ブログで中島飛行機製作所引込線のルートを推定した。
そのことを念頭に置いて2010-12-27ブログに載せた中島飛行機製作所の写真をあらためて見る。
真ん中の縦線は2011-02-17ブログの目安線(上)になる。この縦線に引込線が通っていたのだと思う。

中心にドーナツを縦長にしたように見える場所がある。引込線はおそらく単線で、このドーナツのように見える場所は上下線のすれ違い場所だったのではないかと思う。

その下の大きい十字路交差点は角が丸くえぐってある。この交差点で引込線は四方に延びていたのではないだろうか。

右上に東北線からの引込口と思われる場所が見えている。
昭和22年空中写真に東北線を赤、引込線と思われるところを青で示す。
中島飛行機製作所の写真に東北線を赤、引込線と思われるところを青で示す。

2011-02-23

鴨川の藤橋から島根橋へ

大宮区三橋4丁目のはずれ。鴨川方面の眺望。加茂川団地は鴨川の向こう。

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下流の橋(藤橋)で鴨川を渡る。

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この道は大きく右に曲がったあと長い直線になる。

右手に加茂川団地

道は二又に分かれる。

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左は島根公園

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二又を直進する。

右に鉄塔が見えるので近くに行って撮った
ここは東京電力植田谷変電所
変電所前から見える加茂川団地

小さな川でも大きな危険。

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長い直線の道はまもなく突き当る
カメラを右に向ける

白梅。

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バス停「東光院」。

右は治水橋方面、左は新大宮バイパス方面。
突き当りだと思ったが、突き抜ける道がある。

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道路を渡って振り返る。歩いて来た長い直線の道路。遠くのビル群はさいたま新都心。

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交差点を直進、突き抜ける道を進む。東光院の裏を右折、突き当って左折、広大な田んぼに出た

田んぼ道で帰路につく。
用水路の傍らに菜の花。

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さいたま市民医療センターに向かう道。田んぼの中に祠
近付いて見る
通り過ぎて反対から見る。

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さいたま市民医療センターの前。

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バス通りを横断して進む。紅梅。

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鴨川に架かる島根橋を渡る。

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島根橋を渡ると桜区白鍬。
最初の十字路を左折すると住宅地

住宅地の古墳。民家の庭のような場所にある。

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フェンス越しに右側の案内板を撮る

平成元年6月(22年前)わたしはここを訪れていた。

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2011-02-22

浦和から与野へ昔の道を歩く

中山道を北浦和駅から浦和橋に向かって歩いている。左にカーブしているのがわかる。

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浦和橋のたもとから見ると右にカーブしているのがわかる。
ここに鉄道が敷かれるまではこのカーブはなかったはずだ。赤い線のような道だったと思う。

浦和橋を渡ると信号交差点がある。左は浦和駅方面、右の白い車が向いているのは北浦和公園方面。

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きょうは2011-01-162011-01-23のブログで触れた「昔の中山道浦和から与野への道」を実際に歩いてみよう。
交差点から北浦和公園方面への道を見る。

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カメラを左に向けて浦和駅方面を見る。新浦和橋の陸橋が見える。昔の与野への道(川越道)は陸橋の少し手前から分岐したと思う。
その道は残っていないので、きょうはここから北浦和公園方面への道に入る。

現在の道は少し右に折れてしばらく直線になる。

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直線の終わりは5差路

正面の道を行く。車は入れない。

国道17号が見えた。

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クランク状に曲がるあたりだ。
昔の道は青と白のトラックが止まっているあたりから北浦和公園方面に延びていたと思う。

17号信号側から見る。石の供養塔が見える。

信号交差点から北浦和公園方面を見る
突き当りが北浦和公園

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昭和30年頃ここには埼玉大学があった。

昔の与野への道(川越道)は現在の北浦和公園の中を通っていた。

噴水は点検中

消防車のように見える高圧洗浄車

北浦和公園を出て埼大通りを渡った。右(北浦和公園)から左へ昔の道は延びていったが、現在その道はない。

サティの西北の位置に来た。私の右後ろにサティがある。北を見ている

北へ進んだ。昔の道は右から延びて来て、この道になる。

昔の道は国道17号に出る。

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国道17号に出て右を見る2010-11-21ブログ昭和25年の写真は次の信号交差点あたりで撮ったもの。

国道17号を渡って昔の与野への道(川越道)。

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いかにも昔の道という感じ。少し前が開けた

最初の十字路で左を見る二度栗山参道

正面奥に新都心の日本郵政ビルが見える

次の交差点を過ぎると道路が広くなる。

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右は北浦和住宅の針ヶ谷西公園

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左に曲がる路地がある。

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曲がって最初の左側の電柱
ここに庚申塔がある。右側面に享保五年(1720)とある。

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元の道に戻った。

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昔の与野への道(川越道)はここで左折する
曲がり角は2010-04-13ブログで訪ねたここだった。

閑静な住宅地だ。正面の道を進む。

突き当りは国道17号

国道17号から「かわしん」が見える。
昔の与野への道(川越道)は「かわしん」の後ろを左に折れる。きょうはここまでにする。

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2011-02-21

指扇駅から西大宮駅まで

JR川越線は昭和15年(1940)7月22日開業したという。それから70年と7ヶ月が経っている。
昭和15年7月6日東京朝日新聞埼玉版に川越線開業直前の記事がある。
今日は大宮から川越線に乗って指扇で下りた。ホームから川越方面の眺め

指扇駅を出て駅舎を見る

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先ほどの川越線開業直前の記事の左下に指扇駅舎の写真がある。
2011-02-03ブログで日進駅を訪れた際、日進駅の昔の写真が見られるHPをリンクした。そのページにあった日進駅舎の写真を見て欲しい。昭和43年とある上の写真駅舎と昭和15年指扇駅舎はそっくりである。
そして2005年4月とある下の写真駅舎と今日私が見た指扇駅舎もそっくりである。

駅前の道を左へ行くと踏切になる。

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踏切を渡りながら瞬時で指扇駅方面を撮る。

踏切を過ぎて右に曲がる路地の入り口に埼玉栄高校の看板。

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道案内の看板のようだ。西大宮駅ができる前、埼玉栄高校の生徒は指扇駅から歩いていた。

私は真っ直ぐ進んで行く。

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スギ花粉症に効く薬

西大宮バイパスの下を潜った

左は指扇療養病院。

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右は指扇病院

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指扇病院の先を右折して扇通りに入る。

こんな風景。

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点在する民家。

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向こうに神社が見える地図には淡島神社とある。

なおも扇通りを進む。

鉄塔がある。地面の方

指扇公民館前の信号。見えている建物はJAさいたま。

左折して扇通りから離れる。
住宅散在地の道路を進む。

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東の風景。

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左に曲がると神社がある。

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氷川神社参道だろうか。
メインの道を進む。

石柱がある。

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秋葉神社の社号標石みたいだが・・・。

法光寺

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ここには天然記念物のイヌツゲがあるようだ

指扇北部自警消防団

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高木の信号に出る。

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右折した。

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左手にカインズホーム

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ここがオープンした時この道路は大渋滞した。

屋上に鉄塔

住所は西区高木から西区清河寺に変わる。清河寺温泉

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バス停「清河寺」前の「葵の園」。

清河寺多差路交差点。

ここの交差点は事故が多いのか? 救急病院が名を連ねている

再び扇通りへ。

清河寺交差点を過ぎると左にカーブする。

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カーブ途中の右側。ここには何ができるのか

さいたま市西消防署。

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バス停「埼玉栄高校入口」。

次の信号を越えた右側一帯が埼玉栄中学校・高等学校

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校庭との高低差

バス停「西区役所」の先に西区役所。

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西大宮バイパスの交差点に出た。新大宮バイパス方面を見る。

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西大宮バイパスの歩道から西区役所を見る

埼玉栄高校の正面は工事中のようだ。

西大宮バイパスを渡って川越方面を見る。

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反対側

西大宮駅に着いた。

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駅側から今歩いて来た方面を見る。

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橋上駅から埼玉栄方面を見る。
橋上駅から南方面を見る。

西大宮駅ホームの清河寺温泉

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2011-02-19

中央区役所の胸像

中央区役所正面玄関右側に3体の胸像が並んでいる。

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左から見る
右から見る

右の2体が元市長なので、ここには歴代の与野市長の胸像が設置されているのだと思っていた。
右の胸像(井原勇)と経歴
中の胸像(白鳥三郎)と経歴
ところがよく見てみたら、左の胸像は元市長ではなかった。
左の胸像(武井武)と経歴
若き日の武井武

ここにある3体の胸像は名誉市民になられた方々だった。

さいたま市のサイトにさいたま市名誉市民のページがある。
この中に「武井武」「白鳥三郎」「井原勇」3氏の名前がある。

ここのホームページに井原勇氏の胸像除幕式の様子が載っている。

ところで与野市長を務められた方も3人いる。しかし初代は与野町長が市制移行で市長になったもので、市長選挙で市長になられたのはここに胸像がある白鳥三郎氏、井原勇氏のふたりである。ウィキペディア与野市に歴代首長が載っている。
初代市長は最後の与野町長の茂木喜之(もぎよしゆき)氏。
茂木喜之氏の写真。最初の与野市長選挙に立候補したのだが、白鳥三郎氏に敗れたという。その後は武蔵ゴム株式会社社長・埼玉中央信用組合長・関東いすゞ株式会社取締役などを務め、実業界で活躍したという。

与野市の誕生は昭和33年7月15日。全国で520番目、埼玉県で20番目の市だった。
与野市が誕生した日に発行された『与野市政だより 号外』一面二面

与野市が消滅した翌日の埼玉新聞
「与野市」という地方自治体が消滅してまもなく10年になる。

与野の人口変化中央区の人口は現在95,000人程になった。

2011-02-18

大宮区三橋の慈寶院から八王子まで

「採」のマンホールってどこの管理だろうか?

三橋四丁目自警団 昭和六十二年。

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三橋四丁目の慈寶院に来た。

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正面。

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沈丁花はまだ蕾。

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境内の観音様と無縁仏群

慈寶院案内板。縁起には慈覚大師円仁によって開かれたと伝えているらしい。また江戸時代末期には寺子屋があったらしい。

入口にお地蔵様が並んでいる。六地蔵を含め全部で11体。

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地蔵菩薩立像安永三(1774)年。台座銘文「毎日晨朝入諸定 入諸地獄令離苦 無佛世界度衆生 今世後世能引導」。
この銘文は2010-05-14ブログで訪れた観音寺の地蔵菩薩立像台座にもあった。

慈寶院をあとにする。慈寶院外塀の水仙。

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鴨川よりの道で南へ歩く。住所は大宮区三橋から桜区白鍬に変わる。からおけ茶屋の前。

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左へ曲がって行く。

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何とも言えない味わいがある桜の枝ぶり

満作。

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まもなく交差点に突き当たる。

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交差点の手前は白鍬第二公園

突き当りを鈍角に右折する。

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しばらく進むと左手は人口池になる。人口池の先を左折するとすばる公園がある。

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後ろは人口池。

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すばる公園の蝋梅。

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再び元の道に戻って南へ歩く。
駐車場番号「」と「」、じゃなくて「I」と「L」だった。

バス通りまで来た。

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きょうは八王子公園まで。

2011-02-17

中島飛行機製作所の引込線

2011-01-21ブログで中島踏切を訪れた際にいただいたコメントで、中島飛行機の時代には東北線から工場内に引込線があったということを知った。どこらあたりに引込線が敷設されていたのか気になって、郷土本を当たってみたが、そのことに触れられているものは見付からず、唯一大宮歩きのガイドブックで土呂駅付近を案内している中に“駅の開業前には戦時中に操業していた中島飛行機製作所(富士重工業)からの引込線のホーム跡が残っていました”という記述があった。
駅の開業前ということなら2011-01-21ブログ昭和49年12月空中写真がある。ここに引込線のホーム跡が写っているのだろうか。
昭和54年度空中写真

大宮歩きのガイドブックの記述から中島飛行機製作所の引込線は土呂駅の近くに敷設されていたことがわかった。
昭和22年2月の空中写真で見る。終戦後間もない頃だから引込線はまだ撤去されていないかもしれない。

現在と道路状態が違うので場所がよくわからない。
昭和22年の空中写真平成2年の空中写真に目安線を引いた。

平成2年の空中写真。先の目安線の下の線は中島踏切のあたりになる。

昭和22年の空中写真で中島踏切のあたりを黄色い丸で示す。

上の目安線の途中から弧を描いてほぼ直角に線路の方に曲がり、線路近くで線路に平行して延び、黄色い丸の下で線路に入るのが引込線ではないだろうか。

ところで中島飛行機製作所が操業していた頃、中島踏切には大型トラックが頻繁に行き来していたようなイメージを持っていたが、昭和22年の空中写真を見ると、どうもそうではなかったようだ。
現在の中島踏切の場所に踏切は設置されていないようにも見える。

2011-02-16

大宮の小川護謨工場

さいたま新都心駅前から中山道に下りて大宮方面に行くとすぐに2011-02-11ブログで触れたマルキュービルがある。ここは公開空地になっている。

日が当たっているけどまだ解けない吉敷町交差点の雪
高島屋の前は日陰なので凍結している。

スクランブル交差点をみずほ銀行の方に渡って大宮区役所前の道を左折する。
左側の一帯は駐車場。

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2011-01-12ブログで触れたように昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』掲載明治35年の大宮町略図ではこのあたりに大宮町役場がある。

次の十字路を右に曲がった。左にマルエツがある。

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マルエツの先を左折した。次を右に行ったところに太宰治がしばし逗留していた家があったのだが(2010-08-17ブログ)、私は直進する。

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氷川参道の手前にオガワビル氷川参道から見る

昭和8年大宮町全図に中山道からここまで歩いた道を赤で示す。
昭和8年大宮町全図にある小川ゴム工場というのが現在オガワビルとして残っているのではないだろうか。

2011-02-11ブログで触れた大正3年埼玉時事新聞社出版『大宮案内』其の他の工場の左に「小川護謨工場」が載っている。左のページに広告工場写真アップ
大正6年報知新聞大宮通信部出版『大宮写真帖』にはこのように紹介されている。
小川護謨工場の写真
小川護謨工場邸宅
小川護謨工場の庭園

氷川参道を進む。
氷川神社専用駐車場。残雪

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駐車場の先を右折。
産業道路を越える。
左に大宮東小学校。

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旧国道16号を鹿島橋で越える。鹿島橋は工事中。

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上流方面を見る
大正元年頃鹿島橋の上流から下流方面を撮った写真は2010-06-17ブログに載せたもの。

少し離れて工事中の鹿島橋を見る。

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次の橋を渡る。

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渡った橋は白山橋

見沼代用水沿いのロウバイ。

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オシャレ塀

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堀の内橋の手前で右折。

森のような庭に沿った道を進む。

交差点の向こうにも森みたいな景色。

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交差点から旧国道16号方面を見る

森みたいに見えたところ

左に曲がって氷川参道方面を見る

次の十字路を右折した。ここはオガワゴム株式会社

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ホームページの会社概要には「創業 明治38年 小川ゴム工場」とある。大正3年『大宮案内』の「小川護謨工場」がここに移転したのではないだろうか。

氷川参道で帰る。
参道から見える消防自動車。

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超高層マンションの上空で飛行機が白い線を描いている。

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枝野幹事長すいせん。

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2011-02-15

つかの間の雪景色

きょうは今年初めての積雪。
さいたま新都心歩行者デッキに上がって北与野駅方面の情景

さいたま新都心「8-1A街区」。

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ここは現在暫定的に駐車場になっている。去年の7月民間事業者はここの整備事業から撤退した
県と民間事業者で只今和解協議中

シティテラスさいたま新都心と「8-1A街区」。

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植込みに積もった雪

ブリランテ武蔵野と埼玉県男女共同参画推進センター

コンクリートの囲いに積もった雪。

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JR線路敷。アップ

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新都心大橋から大宮方面。

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単弦ローゼ橋。アーチの残雪

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与野駅に向かう。屋根雪。

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崩れていく屋根雪

上り京浜東北線が行く。アップ

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新都心大橋方面。

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レール輸送専用貨車
「チキ15501」とあるが、「チキ」とはウィキペディア貨車によれば、長物車(チ)で25t以上積載可能(キ)という意味の記号らしい。長物車は長(ちょう)だから「チ」ではなく、Timber(材木)の「チ」だとある。

与野駅前。

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2011-02-14

映画『誘拐ラプソディー』撮影地(2)

映画『誘拐ラプソディー』に大宮駅西口と思われる風景があったので、きのう大宮へ行ったついでに写真を撮ってきた。西口の駅ビル1階を出たところだ。そごう方面を向いている。

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赤い車のところに映画のシーン1の黒い車がある。スーツ姿で腰掛けている俳優は菅田俊で、黒い車の中には哀川翔演じる誘拐された子供の父親がいる。

上の歩行者デッキに出て、そごうを見る。左下のマクドナルドの看板は映画のシーン1に映っていた。

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私の後ろは駅ビルだ。駅ビルの屋上は駐車場になっている。
映画のシーン2は夜景だが、その駐車場で撮影している。駐車中の車に主演の高橋克典と誘拐された子供が乗っている。

そごうの前から駅ビルを見る。

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下から見たのでは駐車場の様子がわからない。地図サイトの鳥瞰写真で見る
もっと近づく
方向を変える

ところで大宮駅西口が撮影地になっていることで思い出したことがある。こないだテゴマスが「笑っていいとも」に出ていて新曲『青いベンチ』のことを話していた。『青いベンチ』という曲は数年前サスケが歌っていた曲で、その頃テレビの音楽チャンネルでよくビデオクリップが流れていた。サスケの『青いベンチ』のビデオクリップは現在2種類あるのだが、最初のビデオクリップは大宮駅西口デッキの路上ライブが映像になっていたはずだ。そう思ってYouTubeの動画を探したら見つかった。下に貼りつける。

2011-02-13

さいたま芸術劇場が出来る前

2010-04-11ブログで彩の国さいたま芸術劇場を訪ねたところ、ここには「フルヤキャラメル」という看板の工場があったと思われるとのコメントをいただいた。そこでちょっと調べてみた。

平成10年与野市教育委員会発行『与野まち風土記』[まちの歴史]【上峰】に“昭和27年(1952)フルヤ製菓創業開始”とあり、別のページには[昭和33年の風景]としてこんな記述もあった。挿入写真

『与野商工会議所創立50周年記念誌』与野商工会議所の出来事には“昭和39年11月 古谷製菓東京工場新築落成”とある。
ウィキペディア古谷製菓によれば、「東京工場の跡地は、現在、彩の国芸術劇場となっている」とある。
本社が北海道の札幌にあったということで、与野だったけど「東京工場」と呼んでいたのだろうか。
昭和49年度の空中写真に見えるのは古谷製菓東京工場ということになろうか。

ウィキペディア古谷製菓によれば、昭和59年(1984)に倒産した。

先の与野商工会議所の出来事には“昭和51年10月 古谷製菓東京工場敷地に「ジャスコ」誘致計画発表”とあるから、この頃すでに古谷製菓は与野からの撤退(東京工場閉鎖)を決定していたようである。
昭和54年度の空中写真には工場施設は見えている。
平成元年度の空中写真だと工場は解体されている。
私が2010-04-11ブログに載せたこの写真この写真は平成元年5月なのでこの頃撮ったということになる。

その後与野商工会議所の出来事に古谷製菓は出てこないが、“平成6年10月 彩の国さいたま芸術劇場がオープン”というのがある。

さいたま芸術劇場オープン前の平成3年鳥瞰写真
最近の鳥瞰写真
最近の鳥瞰写真で彩の国さいたま芸術劇場全景をアップ。

ところで古谷製菓東京工場敷地に「ジャスコ」誘致計画というのはどうなったのだろうか。結果としては立ち消えになった。「ジャスコ」は平成年16年12月日本ピストンリング工場跡地にオープンした。

2011-02-11

さいたま新都心 マルキュー

これは新築マンションの広告チラシの一部であるが、さいたま新都心駅の北側が写っている。

線路の手前を昭和8年大宮町全図で見る。

先の鳥瞰写真のコクーン新都心、イトーヨーカドー、ニューライフカタクラは昭和8年大宮町全図では片倉製糸紡績になっている。

片倉製糸の線路よりに中山道が通っていて、その中山道沿いの線路側に小口製肥合資会社がある。この会社は大正3年埼玉時事新聞社出版『大宮案内』に紹介されている。
大宮案内目次の下段「産業 金融」の中に「其の他の工場」がある。
其の他の工場の中の肥料製造所にこの会社が載っている。「製糸場の挽屑を精製して屑糸真綿及び蛹肥料を製出す」とあるから製糸工場の関連業種のようだ。

『大宮案内』には巻末に広告ページがあり、そこに小口製肥合資会社の広告が載っている。
右の写真を90度回転する
広告によれば、本店は信州諏訪郡平野村、支店は中山道大宮町の大宮支店だ。諏訪郡平野村は現在の長野県岡谷市になる(ウィキペディア「岡谷市」)。
大宮支店の商標マークは丸の中に「九」がある。
この商標マークは最初の鳥瞰写真のここにもある。拡大する。赤い商標マークにマルキューとある。

「マルキュー」をヤフーで検索し、マルキュー株式会社を開く。さらに会社概要を開くと沿革に「明治43年10月 マルニ小口製肥合資会社(長野県岡谷市)のマルキュー大宮支店として開業」とある。マルニというのは本店の商標マークだと思う。

片倉工業のHPによれば片倉製糸は明治6年長野県諏訪郡川岸村(現岡谷市)で創業、明治28年に東京に進出した。
大宮市史年表によれば明治34年大宮町に片倉組大宮製糸場設立、大正5年片倉大宮製糸所が大宮町仲町から吉敷町の現在地に移転とある。

製糸業と製肥業は『大宮案内』にあったように関連産業であり、片倉製糸と小口製肥は共に長野県岡谷市から進出してきたことを思うと、すでに長野県時代から業務上の取引があって、片倉製糸の大宮進出を追いかけて小口製肥も大宮進出してきたようにも思える。

マルキュー株式会社の会社沿革には、
昭和54年11月 鉄筋5階建て(地上5階、地下1階)の本社社屋が大宮に完成
昭和56年12月 鉄筋5階建ての本社工場・倉庫が大宮に完成
昭和59年12月 社名を小口油肥株式会社から、マルキュー株式会社に変更
とある。

2010-03-10ブログで秋山静子画家の描いた大宮操車場跡地のパノラマ画複写を載せたが、これは平成元年の風景画でここにマルキューを見ることができる。

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私が平成元年に大宮操車場跡地を撮った写真にも右端に見ることができる。

Photo

もっと前、昭和57年頃の鳥瞰写真には建物はあるが大きな看板は取り付けられていない。
そして平成9年頃には建物は解体されている。

マルキュー株式会社の会社沿革によれば、
平成12年1月 さいたま新都心駅前にテナントビルとしてマルキュービル(地上10階、地下1階に51台駐車場)が完成した。現在マルキュー本社は桶川市にある。

2011-02-10

映画『誘拐ラプソディー』撮影地

ちょっと前のことだが、去年の夏の讀賣新聞に埼玉県で映画やドラマの撮影をする件数が増えていると出ていた。
先日、私が見沼田んぼを歩いた時のブログに「このあたりで『誘拐ラプソディー』という映画の撮影があった」とのコメントをいただいたので、インターネットで予告編を観てみた。おもしろそうだったのでDVDをレンタルしてきて観た。映画の中に私の知ってる景色が数か所あった。
今日はその映画にあった景色を見に行こう。

新都心駅東通りを東に向かってコクーンを過ぎると左に河津桜が一本ある。

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さすがに早咲き桜だ。

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レストランミモザ

新都心駅東通りの向かい側にもアルピーノ村。フランス料理店だからフランス国旗が出ている。
産業道路の近くでフランス料理店アルピーノ村を見る。

産業道路を渡って振り返って撮る。

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映画『誘拐ラプソディー』のワンシーン
私のデジカメは3倍ズームが限度だが、映画はもっと大きい倍率の望遠レンズで撮影している。

北袋橋を右に曲がって見沼代用水に沿って浦和西高校の下。見沼代用水の下流を見る。

高台の浦和西高校

浦和西高校の先に少し見えるお寺は正樹院

浦和西高校の通学橋。橋の看板

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反対側はしいたけ屋さん。

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浦和区三崎の農園地帯に下りながらネット越しに新都心。

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貸農園。

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枕木のベンチ

畑の野菜。手前はキャベツ、遠くは大根。

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大根の葉っぱ。

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北に橋。

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芝川に架かる橋。

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橋の上から新都心を撮っている人をよく見る。

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下には鴨。

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この橋の名前は「だいどうにしはし」。漢字
大道西橋から芝川の下流を撮る。

右で首都高と第二産業道路が交わる。

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大道西橋を下りたところに首都高の料金所がある。

下から見る高速道路終点さいたま見沼料金所

西へ歩く。

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突き当って右に曲がって進む。丁字路を左折すると新都心方面。

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左折した。左右はオギの原。

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オギの原が終わるところから新都心方面を見る。

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映画『誘拐ラプソディー』オギの原-1オギの原-2
映画のシーンには車が映っている。私が写真を撮った道に車がいたのではないかと思う。だから映画は後ろのオギの原から撮ったのではないだろうか。

大宮市街方面の風景は変わった。

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ポールで線を支える農園の設備。

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エアーポールもある。

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白梅。

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コクーン新都心を通過する。

<関連ブログ>
2011-02-14 映画『誘拐ラプソディー』撮影地(2)
2011-02-25 土合村役場跡まで
2011-03-03 映画『誘拐ラプソディー』撮影地(3)
2011-03-11 桜区田島からさくらそう水門へ
2011-05-21 映画『誘拐ラプソディー』撮影地(4)
2011-06-12 映画『誘拐ラプソディー』撮影地(5)

2011-02-09

浦和の昔の映画館

2011-02-04ブログで、私はさいたま市立博物館発行『街にキネマがあったころ』掲載の昭和7年浦和町案内図を見ながら「調宮劇場」を訪ねた。『街にキネマがあったころ』には「調宮劇場」についてこのように解説している。それによれば、戦後は東宝系映画が主体になっていたようだ。
キネマ旬報社から出ている本に、昭和30年頃浦和市の南寄りに「浦和東宝」(東宝封切)があり、平日の昼間などは先ずひっそりしたもの、土・日はどうやらで・・・というようなことが書いてある。浦和東宝は調宮劇場があった場所にあったのではないかと思う。
2011-02-04ブログで訪ねた調宮劇場跡地

『街にキネマがあったころ』掲載の昭和7年浦和町案内図で調宮劇場の北を見ると「浦和劇場」がある。
『街にキネマがあったころ』掲載の浦和劇場付近の拡大図共楽座(浦和劇場)のあゆみ
共楽座(浦和劇場)のあゆみの最後には平成11年浦和劇場跡地に浦和パインズホテルが開業とある。
浦和パインズホテルは浦和センチュリーシティにある。

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ここには2011-02-06ブログで触れたように旧浦和市役所もあった。先の拡大図を見ると中山道から共楽座(浦和劇場)に入るには中山道の十字路から入る。この十字路から入る道は今はない。今の地図に赤い線でその道を示す。
中山道からその道を入ると左に共楽座(浦和劇場)があり、さらにその先の右側に浦和町役場があった。その町役場は2011-02-06ブログに載せたこの建物だった。

共楽座(浦和劇場)のあゆみにあるように浦和劇場は明治43年の共楽座から始まった。
落成当時の共楽座
昭和30年頃の浦和劇場

2011-02-08

官幣大社氷川神社

埼玉県立図書館のサイトに『ふるさと埼玉 ものしり事典』というページがあって、「地域でさがす」の「さいたま市」を開くとタイトル一覧が出る。その中に「官幣大社氷川神社」というタイトルで3枚の写真がある。
大正時代-1 大正時代-2 昭和初期
また昭和8年大宮町全図の囲み「官衛名所所在地」にも「官幣大社氷川神社」と書いてある。

昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』の年表には、明治4年5月14日氷川神社が官幣大社となる、と書いてある。

官幣大社とは何なのか。
昭和15年 野ばら社出版『昭和年鑑 昭和15年版』に全国の神社一覧が載っている。
神社一覧 4-1 神社一覧 4-2  神社一覧 4-3 神社一覧 4-4
これを見ると官幣大社は神宮の次に格式が高いようだ。首都圏では埼玉県氷川神社、千葉県安房神社、千葉県香取神社、茨城県鹿島神宮、東京市日枝神社、東京市明治神宮の6社しかなく、丸印は埼玉県氷川神社と東京市明治神宮だけである。

先の年表には明治1年10月28日明治天皇氷川神社に行幸、明治3年11月1日明治天皇再び氷川神社に行幸、明治11年8月31日明治天皇三たび氷川神社行幸とあり、大宮氷川神社と明治天皇とは強い結びつきがあったように思う。

きのう氷川参道を歩いた時、一の鳥居あたりを撮った。

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この浮世絵は明治初期に描かれたというから氷川神社が官幣大社となった頃だ。

一の鳥居の前に「武蔵国一宮」の社号標石が建っている。左側面に享保七壬寅天二月とあるから1722年、今から289年前に建てられたものだ。
先の浮世絵に描かれている社号標石らしきものを拡大する。武蔵国一宮と読める。

社号標石の裏面を見ると「官幣大社氷川神社」と刻んである。これはおかしいではないか。この社号標石は享保7年(1722)に建てられたが、明治4年(1871)に氷川神社は官幣大社になったのだ。
裏面の左に小さい文字が刻んである。「宮司大・・・」と読み取れる。「宮司大 氷川神社」でヤフー検索すると氷川神社と大宮宿を歩くのページがヒットし、それによれば「宮司大教正〃七位平山省齋謹書」と刻んであるという。そう思って見ると平山省齋謹書と読める。
「平山省齋」でヤフー検索すると平山省斎とは-コトパンクで「明治9年に氷川神社大宮司」になった人物だとわかった。社号標石の裏面の「官幣大社氷川神社」の文字は明治9年以後に彫られたということになる。

「官幣大社氷川神社」の社号標石は裏参道にもあったにもあった。
こっちは大正6年だから官幣大社氷川神社の時代だ。

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官幣大社氷川神社は昭和21年(1946)の神社制度改正で「社格」が廃止されるまで続いた。
そうすると氷川神社は明治4年(1871)から昭和21年(1946)までの75年間「官幣大社」だったことになる。
この75年間というのは明治新政府による軍備充実の政策からはじまって、日清、日露、第一次大戦、第二次大戦と日本が暗い歴史を歩んだ時代だった。それが「官幣大社氷川神社」の時代だった。

現在、一の鳥居前の社号標石裏面の「官幣大社」と彫られた文字はセメントで埋められている
裏参道の「官幣大社」と彫られた文字もセメントで埋められている。埋められているのは「官幣大社」までで、氷川神社は埋められていない
おそらく戦後になって氷川神社が官幣大社でなくなって、「看板に偽りあり」ではいけないというので「官幣大社」の四字だけを消したんだと思う。
この消し方についても、本当に見えなくするならセメントを上塗りすればいいと思うが、そうはしていない。文字の刻みを埋めただけなので、元の文字が判読できるような仕方で消してある。偶然このようになっているのか、意識してこのようにしてあるのかわからないが、私はこれでよかったと思う。「官幣大社氷川神社」の時代は繰り返えされてはならないと思う。そのためにも「官幣大社氷川神社」の時代が存在したことを忘れてはならないと思うのである。

2011-02-07

北区東大成町から大成町あたり

氷川参道を歩いて来たが、大宮中央通りで信号待ちになった。先生は名医

平成ひろばの紅梅。

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高鼻町の住宅地で沈丁花の蕾。

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旅館は日本風がいい

ブロックは普通左のように積む。レンガは右のように積む。その右もずっとこういう積み方

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旅館の隣は蔵造り
一年中「五月」。

旅館三楽荘。突き当りは裏参道。

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中山道と鉄道の立体交差
この階段の歩道で行く。トンネルの中この階段を上がる。
次の信号かどはバス停「大宮警察」。

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左折して大宮警察署前を通過すると右に曲がる丁字路がある。北を見る。

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北に進んで突き当りは大宮中央総合病院

左折する。ガード道路と立体交差の歩道から線路越しに鉄道博物館を見る。

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線路際から鉄道博物館を見る。

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住宅地を北に歩く。右に長山団地

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そのまま北に歩いて行くとまたガード道路。向こうには業務スーパーがある。

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このガードを潜って帰ることにする。ガードの入口は中山道方面にある。
中山道方面からガード入口を見る。左は東大成小学校

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こっちの歩道からガード道路の歩道に入るのに横断歩道がないのはマズイのではないか。

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この歩道でガードを潜る。

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このガードは大成第2ガードというらしい。

大成第2ガードの西に出た。国道17号の大成町四丁目交差点だ。17号を渡って北(上尾方面)を見る。

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そのまま西へ行く。ピアノパワーセンター

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次の交差点を左折。公園の横を歩いて入口まで来た。

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ここは稲荷第2公園。入口の石鳥居は明治時代のもの。

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左に石造物が5基。そのうち左の3基は江戸時代の造立だ。
一番左は庚申塔。年代は元禄十四辛巳年(1701)。
左から二番目は庚申待石橋供養塔で、年代は明和三丙戌年(1766)だろうか。
左から三番目は庚申塔。年代は天保二辛卯年(1831)。

奥の鳥居と

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右の狛狐左の狛狐

稲荷第2公園を出て、南へ歩いて行ったら国道17号に出た。国道17号を南下する。

鯉沼ミシン店。

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大成町歩道橋を上がって、北を見る。

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南を見る。

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歩道橋の下のペットショップ

さいたま市大宮消防署大成出張所。

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「は」入れた歯科医院。

2011-02-06

旧浦和市役所

浦和センチュリーシティの正面。

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ここは中山道で大宮よりに「仲町交差点」がある。「仲町交差点」を左折して国道17号を越えたところにさいたま市役所がある。「仲町交差点」に市役所通りの看板がある。

浦和センチュリーシティの裏に回る。ここに旧市役所跡記念の碑がある。

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昭和55年の地図に市役所通りを赤で新旧市役所の位置を青い矢印で示した。「中央駐車場」の位置が旧市役所になる。

2010-11-12 ブログでここを訪れた時、昭和33年の旧市庁舎の写真を載せた。 そして「この市庁舎は明治44年に建てられたようだ」と書いた。そう書いたのは浦和市立郷土博物館発行の『記憶の中の風景』という写真集にコメント入り写真があったことによる。ここには明治44年新築された町役場と書いてある。

しかしその後浦和の古い地図を見ていて疑問が出てきた。昭和9年の地図に中山道を太い赤、現在の市役所通りを細い赤で示した。この頃現在の市役所通りは中山道まで繋がっていない。左の浦和地方裁判所は現在の常盤公園、旧郡役所は現在の市民会館という位置になる。浦和市役所は中山道(太い赤)と旧郡役所を結ぶ道沿いにある。
ところでこの地図が描かれた昭和9年に浦和町は市制施行により浦和市になった。それまでの浦和町役場が浦和市役所になった。
市役所の玄関は南側の道路に面していたと思われるが、昭和33年の旧市庁舎は現在の市役所通りに面しており、玄関は北側になる。
2010-11-12 ブログ昭和36年の空中写真を見た。昭和21年の空中写真を見ると同じところに市役所が見えない。明治44年新築されたのならあるはずだ。

別の写真集には昭和14年の浦和市役所の写真があった。これは先に見た旧市庁舎と全然違う。これは陽が当たっているように見える。南側に面していると思われる。

平成5年浦和市発行『図説 浦和のあゆみ』に“市役所はもと、仲町二丁目(現市営中央駐車場の地)にありましたが敷地が狭く庁舎は分散を余儀なくされていた”という記述があるので、旧浦和市役所は複数の庁舎があったことがわかる。

そして決定的な文章を見付けた。平成13年浦和市発行『浦和市史通史編Ⅳ』には、市役所移転問題が浮上した昭和43年当時の市役所は、①明治44年に建てられた浦和町役場時代の建築と ②昭和26年に建てられた北側の庁舎であると書いてある。

これでわかってきた。昭和33年の旧市庁舎は昭和26年に建てられた北側の庁舎で、昭和14年の浦和市役所が明治44年に建てられた浦和町役場時代の建築なんだと思う。

2011-02-04

浦和「調宮劇場」があった場所まで

浦和市100年の写真を集めた本に「タクシー会社前にて(昭和12年頃)」という写真があった。住所は書かれていないのでわからない。しかしここはどこなのか好奇心をそそられる。
さいたま市立博物館発行『街にキネマがあったころ』に昭和7年の浦和町案内図がある。タクシー会社の写真は昭和12年頃だから時代は近い。主要な道路沿いをチェックしてみよう。
ここに(赤矢印の先)「埼玉の自動車」と書いてあるように見える。
きょうはここへ行ってみよう。

浦和区高砂のここにいる。
南から北を見る。左に「いとう医院」がある。昭和7年浦和町案内図に四角で囲む 。この地図だと右から左を見た。

南へ歩く。さくら草通りを横切って振り返る。

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県庁通りに出て浦和駅方面を見る。次の信号が中山道。

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昭和7年浦和町案内図の「埼玉の自動車」は今歩いて来た道と中山道との中間の県庁通りにある。おおむねこのあたりにあったのではないだろうか。

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今歩いて来た道をさらに南へ行くと昭和7年浦和町案内図に「調宮劇場」と書いてある方向になる。
県庁通りの南側から歩いて来た方面を見る。

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これから向かう方面。

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交通事故掲示板
こんなところに警察はなかったはずだが・・・。埼玉県交通会館とある。

次の交差点は再開発中道路。歩いて来た方面を見る。

割烹千代田の純日本風塀囲い。

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突き当って左折、右折してクランク状に南へ進む。また小クランク。左から来て右へ行く。

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左の駐車場の向こうは中山道。

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表通りに出た。左のかどに「調宮劇場」があったのだと思う。
道路の向こうから見る。正面マンションのところに「調宮劇場」があったのだと思う。

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中山道に出て調神社方面を見る。

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調神社の手前を左に入る。こっちから帰るとする。
老巨木があった。後ろの道路は中山道。この瘤は凄い

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ワイヤーにシメラーかけて補強している。

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高砂小学校の西門(勇愛門)

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西門前の風景上の方

浦和区常盤の国道17号。バス停が看板
この位置で左を見上げる。

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少し先に別のバス停。ふつうはこういうバス停名になると思う。

バツイチ。

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バツ2。

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立春の紅梅。

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立春の白梅。

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2011-02-03

西区宮前町「前原橋」から日進駅まで

きょうのブログはきのうの続きを書くとする。
きのうは鴨川の右岸堤防道を歩いてきて、前方にトラス橋が見えたところで終わった。
そのトラス橋のたもとまで来た。ふれあい遊歩道案内板

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トラス橋の外側と内側。

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西から東
東から西
橋の名前は前原橋。なかなか味わいがある橋だ。

となりの鉄橋を川越線が通過していった。

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大宮の昔の写真を集めた本の中にこのあたりで撮ったと思われる写真が時代をはさんで4枚ある。
昭和30年頃 蒸気機関車
昭和30年頃 ディーゼル気動車。昭和30年頃は蒸気機関車とディーゼル気動車が混在していたようだ。
さいたま市立博物館刊行『鉄道の街さいたま』の年表には“1969(昭和44)9.30 川越線からSLが引退”とある。
昭和56年 ディーゼル気動車
平成2年 電化された川越線
『鉄道の街さいたま』の年表には“1985(昭和60)9.30 川越線が電化”とある。この日は埼京線(大宮-池袋間)の開通日でもあった。

昭和56年と平成2年の写真には鉄橋の向こうに宮前中学校が見える。
今も見える。

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前原橋、川越線、宮前中学校の位置関係を最近の鳥瞰写真で見る。

先ほど見たふれあい遊歩道を行く。現在地から下に向かう。
川越線の踏切でストップ。

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踏切から日進駅(大宮)方面西大宮駅(川越)方面を見る。

踏切を渡って右に進む。線路越しに前原橋を見る

宮前中学校

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宮前中学校の白木蓮つぼみ。

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遊歩道は宮前中学校の外周を回る感じで鴨川まで来た。次の橋は「歩道橋」と書いてある。

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宮前中学校HPから学校の沿革を見ると、昭和54年4月1日に開校した。
昭和49年度空中写真を見る。右の上下に鴨川が流れ、下の方に川越線の鉄橋と前原橋がある。宮原中学校のあたりは田畑のようだ。
昭和54年度の空中写真を見る。学校ができていて鴨川の上の方に「歩道橋」が見える。

この橋は宮前中学校開設に伴って通学用に建設されたものだと思う。

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ここにもふれあい遊歩道案内板がある。
「歩道橋」だから車は通れない。

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歩道橋から宮前中学校を見る。

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南(川越線鉄橋方面)を見る。を見る。

歩道橋を下りると長い上り坂が延びている。

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長い上り坂を頂上まで歩くと車の多い道に出た。その道を右に曲がると川越線の踏切がある。
踏切を渡りながら左を見ると日進駅だ。

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渡った踏切を撮る。

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日進駅は新しくなっていた。

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エスカレーターで駅舎に入った。橋上駅。

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反対側(北口)からも入れる。

南側エレベーター前でガラス越しに駅前を撮った。先ほどの駅舎の写真は4台目のタクシーの向こうからこっちを撮ったもの。

改札前の広場からガラス越しに線路が見える。上下線が停車していて、上りが動き出したので、最後尾が見えた瞬間にシャッターを押した。

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ホームに下りた。川越方面大宮方面

ところで『毎週毎週!日進町!!』サイトのこのページに昔の日進駅の写真がある。右「INDEX」のVOL.7とVOL.6にもある。
また、ここには埼京線開業時の日進駅ホームの写真がある。 

2011-02-02

「公園通り」から鴨川右岸堤防道

大宮区上小町の屋根に鳩が止まっていると思ったが・・・。

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大宮駅西口前の大通り(そごう・ソニックシティビルの前)も上小町から三橋に入るあたりはこの程度の道路になっている。大宮駅方面(上小町)。

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新大宮バイパス方面(三橋)。

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次の信号は2011-01-25ブログで歩いた道との交差点だ。

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真っ直ぐに歩いて行く。
左の路地突き当りに三橋小学校が見える。

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旧国道16号に架かる歩道橋。

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歩道橋の階段にこれまで歩いてきた道は「公園通り」と書いたプレートが吊るしてある。
歩道橋に上がって、大栄橋方面を見る。
反対の新大宮バイパス方面 を見る。
この歩道橋を下りて真っ直ぐ行く。

この道は公園通りのはずだが、と思っていたら公園があった。

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大平公園だ。
野球のスコアボードが設置されている。

ひたすら真っ直ぐ歩いている。行く手に鉄塔が見える。

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見えた鉄塔三橋線22号

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上り坂になる。

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上りきったところは大木が林立している。
保存緑地に指定されているようだ。
坂を下って保存緑地を振り返る。

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バス通りに突き当たった。櫛引町方面を見る。

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突き当たりを左に曲がって新大宮バイパス方面に行く。

2010-05-10ブログで歩いた新平和橋に立って北を見る。下の川は鴨川。

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鴨川を渡ると堤防沿いに散歩道がある。

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左手はこの世のものとも思えない建造物。

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鴨川の堤防道から見える西濃運輸

次の橋が見える。

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どの鴨もネギは背負っていない。

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橋のたもとで新大宮バイパス方面を見る。大宮西警察署が見える。

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鴨川の堤防道をもっと進む。

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左にニトリが見える。

鴨川は左から右へ流れている。こっちが右岸。

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この鉄塔は東京タワーみたいな色だ。三橋線16号だからさっきの鉄塔より変電所に近いということか。
直下から見上げる。

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次の橋は宮前小学校歩道橋と書いてある。

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次の橋じゃなかった。次に渡る橋はこれ。水崎橋

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川の名前は宮前川水崎橋から鴨川方面を見る。Tの字の横棒が鴨川で縦棒が宮前川。
地図で見るとここにいる。

さらに鴨川の堤防道を行く。右は宮前小学校歩道橋、左は宮前小学校。

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右岸 11. 300」。

次の橋が見える。

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その橋(新開橋)のたもとで南を見る。

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なおも堤防道を行く

白梅。

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鳩。

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右岸 11. 800」。ところでこの立て看板の数字であるが、上流に行くほど増えている。道路でいえばキロポストみたいなものではないだろうか。(参考ブログ2010-02-17国道17号線の下)
鴨川は桜草公園の先で荒川に合流する。この荒川との合流点からここまで11.8Kmという意味ではないだろうか。

また次の橋が見えてきた。きょうのブログ書きはここで終了する。

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2011-02-01

桜区荒川総合運動公園通り

ここは桜区在家の信号交差点。この地図だと右から左を見ている。

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横断歩道を渡ると荒川総合運動公園通りに入る。

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ここを歩く。

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一般道と交差する。

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左の橋から北を見る。

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夏には子供が喜ぶ水遊び場になる。

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季節の所為か水がない。歩いて来た方面を撮る。

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また一般道と交差する。

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橋から北を見る。

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対岸を東に戻って公園通りを見る。

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再び公園通りを進む。ここからも川岸に行ける。

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この先に岩場が見える。

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近くに来た。

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長瀞の岩畳を思い出す。

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岩の次は芝。

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自然散策の道

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こっちには水がある。

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段違い平行道。

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木道(もくどう)もある。

公園道は続く。

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小さいけど滝もある

公園道りの出口だろうか。

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この歩道を荒川土手に向かう。

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右手は大久保浄水場。私は今ここにいる。

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荒川土手は近い。

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この橋は武低橋

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平成4年3月にできた。

公園通りと平行していたのは江川

荒川総合運動公園管理事務所の前。

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車はここを右に行って土手に上がる。
私はその向こうの階段で上がる。
この階段を上がる。

上がって南を見る。

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北を向いて(管理事務所方面)。(土手道)。(荒川総合運動公園進入路方面)

土手道を北に歩くと荒川総合運動公園入口がある。

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富士山。

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少し北に移動して西を見る。地図を見ると左から下りる道の右側は「昭和」という町名になっている。

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さいたま市桜区昭和の風景。

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ここの郵便番号は〒338-0817。しかし私はこの住所が宛名に書かれた郵便物があったかどうか疑問に思っている。さいたま市のサイトから平成22年12月1日現在町名別人口の桜区大字昭和を見ると0になっている。

この道を下って帰ろう。

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ここを真っ直ぐ進む。

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鉄塔大久保浄水場線4号の向こうにソニックシティビル

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地元住民との間に何かあったのだろうか。

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